卒業生の齋藤さんへのインタビュー
Qバレエを始めたきっかけは何だったんですか?
自分でやるとは言ったけど母の勧めですね。母がなんでもやらせたかった感じです。
他のバレエ教室も見学に行ったし、その前は自分では記憶にないけど器械体操などもやっていたみたいです(笑)。春日井バレエは色んなジャンルができるし、ストイックすぎない雰囲気を母が気に入って決めたようです。スタジオも桜川と青葉の両方あって行きやすかった事もあります。
Q今はミュージカルなど大きな舞台で活躍されていますが、最初からバレエもジャズも両方習っていたのですか?
小さい時は季美枝先生にずっと桜川教室でクラシックバレエを習っていて、6歳ぐらいの時に「バレエだけじゃなくてジャズもやってみれば」と先生に勧めらたんです。でもバレエで入ったのになんでそれ以外のダンスを踊らなきゃいけないの!?と最初はジャズに抵抗がありました。体の使い方もちがうし、最初嫌だったんですよ(笑)よく続けたなって思うんですけど最初は泣きながらやっていたくらい。それが後に「ジャズ踊ってる時はイキイキしてるね!」って言われる程に夢中になったので自分でも意外です。
Qレッスンをしていた当時の思い出や印象深かったのはどんな事ですか?
実は小学5年生くらいの時、辞めようと思っていたんです。その頃はまだそこまで踊ることが好きと思えなくて。でも友達が皆バレエに居て、学校も違うけどレッスンに来たら話せる友達がいっぱい居て、それが楽しくて続けていた感じなんです。季美枝先生も優しかったし、なんとなく通っていたんです(笑)。
それが、ある作品の合同練習で、一番後ろの列だったんですけど、春日井先生の目に止まって「凄くいいわよ、貴方!」って前列に引き揚げられたんです。それが嬉しくて嬉しくて。そこからなんです、やる気になったのが。単純ですけどほんと私は運がよかったなって思って。あれがなかったら辞めてました。ずっと桜川だったから春日井先生の目に触れる機会も少なかったんですけど、あの時の先生の一声でバレエに対する火がついたんです。それからコンクールとかにも行くようになって益々バレエもダンスも好きになりました。でも春日井先生が桜川に来るときは「わー!居る!!」って緊張しましたけど(笑)
Q大変だったことや辛かったことはありましたか?
中学校で吹奏楽部に入り、しかも強豪だったので土日も練習がずっとあってバレエに行く時間もなくなりました。しかも思春期でブクブク太っちゃって。部活のコンクールとかもあったし、中2まではなんとか頑張って両立したんですけど、中3のときはバレエの練習はほとんど行けなくなりました。その時は少ない練習時間で発表会にでたりして、なんだか申し訳ないような気持ちになり辛かったです。でも、なんとかやり過ごして、高校生になってからまた週6くらいでバレエとダンスに打ち込みました。
Q春日井BDGに通ってよかったなと思うことは何ですか?
他のバレエ教室だとクラシックバレエ一本じゃないですか。けど、春日井ではコンテンポラリーやモダンバレエもやらせてもらっていたので、今舞台の仕事で対応できてるんです。ストリートダンスでもなんとか(笑)。最近のミュージカルはストリート系のダンスの振り付けが多いんです。ダンスのアップダウンの基礎とか小さい頃に教えてもらっていたのが良かったです。
Qいつぐらいから将来ダンスの道に行こうと決めたのですか?
遅いです。大学になってもまだ趣味で続けるつもりでした。
高校3年生まで東京の大学をとは思ってましたが、ダンスで進学するとも思っていなくて。
高3の時に大学のワークショップが弘前であって、春日井先生の紹介でたまたま受けたたんですけど、それが本当に面白くて、その日本女子体育大学の舞踊科に決めたんです。
バレエの方が好きだったけど、ジャズの方が得意だったみたいで東京に来てからはダンスのレッスンに打ち込みました。でもまだプロとしてやるつもりは無かったです。
考えが変わったのは、大学4年のときにスタジオからのオーディションで商業演劇の舞台にダンサーとして立った時です。舞台って楽しい!!!と火がついたんです。ゼロから舞台を作り上げて行く過程も好きになって、舞台に強い東宝芸能のオーディションを受けました。歌の審査抜きでバレエとヒップホップだけで受かりました。
Q春日井BDGで得たものは?
ダンス全部。将来につながるきっかけ全て。
青森での思い出は春日井しかないです。秋はお祭りのように青森の文化祭や色々な催し物で発表会以外にも舞台に立つ機会が多くて、楽しかったし、人前に立つ度胸がつきました。
Qあなたにとって春日井BDGとは?
人生のきっかけが全部春日井です。踊りを辞めずにずっと続けられたのも先生の一言があったからだし、日本女子体育大学を選ぶきっかけもそう。この大学に行ってなければ今こうやってミュージカルをやってないです。